10月31日

 AD一五一七年一〇月三一日は宗教改革記念日として世界の人に知られています。ドイツのマルチン・ルターがまず改革ののろしを上げた日です。当時の口ーマ・カトリックは免罪符を売って聖ペテロ大聖堂の建築資金そして政治資金を含む必要経費を得ようとしました。その事は聖書には無いことといって九五ヶ条の抗議文をウィッテンベルクの城の教会の扉に貼るのですが、これが法王の怒りにふれ、修道僧ルターは破門状を手渡される結果となりました。
 けれどもルターは「私の良心は神の言葉、聖書にとらわれています。私の著書を取り消すことは出来ないし、取り消そうとも思わない」「われ聖書の真理に一人立つ。聖書のみ、信仰のみ」といって免罪符制度に反対して参りました。正に真理戦争に突入したのです。聖書の正しい教えが曲げられてはならないと、ドイツ皇帝と法王の弾圧の下、同志メランヒトンと共に詩篇四六・一を歌いつつ、互いに励まし合いながら進んで行きました。
 「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」(第二コリント一三・八)ただ信じれば救われる(使徒一六・三一)という聖書真理にしっかり立って世の諸勢力を恐れず、福音を証して参りましょう。恐れることはありません。「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(詩篇四六・一)だからです。

10月30日

 《宗教改革》一五一七年にル夕ーによってドイツで始められ、ほぼ同時代スイスでツイングリー、さらにカルビンによってひきつがれました。ローマ・カトリック教会に対立する教会の画期的な改革運動。世界におけるキリスト教勢力はここから発生しました。
 改革という語は一四~一七世紀に教会の世俗化や権力の濫用に反対して教会改革を望む人々や団体によってしばしば用いられました。宗教改革の時代的背景として教会の世俗化の他にもルネッサンス(文芸復興)国民文化の興隆、民主主義思想の広がり。商工業都市の発生、貴族階級のぜいたく、農民への不当な課題、ききんによる不安等の社会的事情があげられます。  しかし、宗教改革の直接の原因はルターの心の内側に始まったと見るべきでありましょう。第一に罪が赦されるのはキリストへの信仰のみ、第二に聖書のみを主張しました。第三に救いに関してキリスト以外にどのような仲介者も必要でなく、全ての信者が福音を伝える責任があるとしました。万人祭司制の教義です。
 宗教改革の影響はスイス、ポーランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フランス、オランダ、イタリヤ、イングランド、と広がっていったのです。
 「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」(ローマ三・二八)

10月29日

 宗教改革者マルチン・ルターは一五一一年から翌一二年にかけていわゆる「塔の体験」を持ちました。この名称は彼が後年、ヴィッテンベルグ大学の学生寮の一角にある塔の中で、他の説では、修道院の塔にある自室で新しい福音理解の光が主の塔の中で与えられたと語ったところに基づいています。
 その新しい福音理解とは何でしょうか。死の問題を契機として修道院に入って以来、この時期に至る八年間の精神生活においての最大問題は、自己の宗教生活が純粋なものであるか、という反省でありました。
 しかしながら自らの不純性こそ罪であることを認識せざるを得なくなった時、この罪を(キリストへの不徹底な愛しかもち得ない罪を)赦すものこそ、神の愛、キリストの愛であり、かつ彼が義とされるのは「信仰のみ」(ソラ・フイデ)、「聖書のみ」(ソラ・スクリプテュラ)であって他の方法によってではない、ということこそ新しい福音理解でした。そして又この主張こそ宗教改革が一五一七年一〇月三一日、ルターによって始まった原因でもありました。善行(免罪符購入)による救いではなく、ただ信仰による救いなのです。
 「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。…『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ一・一六~一七)

10月28日

 《カトリック》一般的にこの用語は口ーマ・カトリック教会のキリスト者に用いられます。「普遍的な」を意味するギリシャ語のカソリコスから派生したものです。カトリック主義とはローマ教皇を最高首長として仰ぐ天主公教会の宗教的思想的な立場を言います。
 カトリック・キリスト教は四世紀にローマ帝国に公認され、更に五~六世紀にローマ教会司教が西方世界に主権を握るに至ってから、世界的な公教会としての位置を獲得します。カトリック主義の理念はすでに原始教会時代に始まり、聖書中にそれを見出します。しかし、一六世紀に至ってローマ・カトリックは腐敗、堕落し、ルターなどによる宗教改革運動が発生したのです。
 このたびイタリア、ローマのバチカン市国に在る豪壮巨大なサン・ピエトロ寺院(大聖堂)を初めて訪れました。ローマ市内にはカトリック教会が約四〇〇あります。そのうちでも最大の建物です。AD三四九年にコンスタンチヌス皇帝の息子によって完成されたものですが、その後の諸法王や諸侯によって立派になっていきました。しかし創立後千年程してすっかり廃墟と化し、再び工事は一六〇七年に始まり、一六三三年に完成したと言われます。ここでは聖書の宗教は芸術化され、神の言葉は耳で聞かれると同様に目で見られています。

10月27日

 昔、封建時代の武士たちは主君に対して忠誠を誓いました。主君に対して利害打算の私心、二心を持たぬこと、無私であること、さらには心から自発的、能動的に精一杯に主君に対し己れを尽くすこと。それがつまり忠誠を誓う事でありました。
 昔、戦時中の教科書に木口小平という兵士が、死んでも口からラッパを離しませんでしたと記され、いかに彼が自らの職務に忠実であったかを教えられました。
 幼い園児たちを引率して遠足にでかけた保母先生がいました。はしゃぐ園児たちの前方から自動車が疾走してきたとします。そしてあわやと思われた時、先生は園児を救っていました。だが先生の傷は重かった。私たちも主なる神に対して自ら深い忠誠(ロイヤリティ)を誓い、良い忠実な僕として従い続けていかねばなりません。
 マタイ二五章一四節以下に、自分の財産をしもべたちに預け、旅に出ていく人の話が載っています。その中に五タラント、ニタラント預けたしもべには、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言っています。どんな小さいこと、僅かな事、簡単なことでも主のため、相手のために忠実さを果たしていきたいと思います。陰ひなたなく人が見ていない所、見ていない時こそ忠誠を発揮してまいりましよう。

10月26日

 「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。」(エペソ三・一二)
 ユダヤ人だから、アメリカ人、西洋人だから天地万物の創造者なる神に近づけるわけではありません。人種、国境、性別、階級の区別をのりこえて、だれでも単純に主イエス・キリストを受け入れ、信じる者が、その信仰の故に神に近づき、神と出会いを持つことが出来るわけです。ですから真実の神様を発見し、この方にいよいよ接近したいのであれば、イエス・キリストの実在とこの方の生きておられることを固く信じなければならないのです。
 パウロは「大胆に確信をもって神に近づくことができる」と言っています。さわらぬ神にたたりなしの諺もありますが、理由、原因もなしにやたらに、たたりや罰や、怒り、さばきを与えるお方ではない聖書の神だということを知らなければなりません。私たちは今のありのままの姿で遠慮なしに主に近づき、益々お恵みを、力を、祝福を頂いて前進いたしましょう。イエス・キリストとはまことの神様に出会わせて下さるお方であります。ますます天の神様との距離を縮めていきましょう。
 「(キリストは)ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。」(へブル七・二五、参照:同四・一六、一〇・二二、一二・二二)

10月25日

 弟子たちの足を洗い給う主イエスの姿は誠に貴いものです。しかしこの行為を通じてキリストは彼らとの関係を一層深め、強めようとされました。未信者の人たちは、しばしば「関係ありませんからいりません」と手渡そうとするチラシを断られます。けれどもわたしたちは関係がないので、関係、つながり、係わり合いをもたせて頂こうとしてパンフレツトをお渡ししょうとするのですが、警戒されてしまいます。残念です。
 イエスは「もしわたしが(あなたの足を)洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」(ヨハネ一三・八)と言われて、断るペテロの足を洗っていかれました。昇天後の主はご聖霊を通して私たちと関係を保っていて下さいます。このような罪ある汚れた存在をお忘れにならず、常に係わりをもって下さる主イエス様に感謝してゆきたいものです。またこのようなお手本を、模範を残された主に見習って(ヨハネ一三・一二~一五)、私共も互いに益々仕え合っていきたいものです。
 互いに仕えあう精神の失われた現代に生じている現象は、国家間においても人々を飢えに追いやっているという事です。地球規模で考えても富める国と貧困に悩む国の大きな差を実感せざるを得ません。御霊に助けられつつ、まず私たち個々人から仕えあって、主の体なる教会を立派に建てあげていきましょう。

10月24日

 「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」(マタイ六・六)
 祈りはどこまでも神と私との間の出来事です。その間には誰も入ることは許されません。ですから祈りはある一面隠れようとするものです。自分の部屋に入り、戸を閉じて神と対話しようと、また、相まみえようとします。人の目から隠れなければ神に会うことはできないからです。なぜなら神は、隠れたところにおられる神だからです。人から隠れるだけ、神は一層現れてくださると言ったらおかしいでしょうか。
 もちろん合同で複数の人たちと共に祈る場合もあります。けれども祈りの姿には、イエスが言われたように密室での自分だけの祈りがあります。むしろこちらの方が多いのではないかと思われます。
 祈りの相手はもちろん主なる神です。人ではありません。この方と対座し交わり。じっくりとこの方に聞いていただくことをして物事の解決を計っていくわけです。全能者との対面の場があるという事はなんという幸せ、また特権でしょうか。クリスチャンであることをしみじみと感謝いたします。信仰を持って主イエスの聖名で祈りましょう。形式的ではなく心のこもった熱心な祈りを、また真実な祈りをささげましょう。イエスも孤独になって祈られました。

10月23日

 「その町にひとりの罪深い女がいて」(ルカ七・三七)という一人の女性は、ベタニアに住むマルタの妹マリヤだという説もあります。
 彼女はルカ福音書一〇章三八~四二でも非常識と思われる振る舞いのため、姉の非難を受けますが、主イエスより「無くてはならぬ一つのもの」を選びとった者として評価されたように、ヨハネ福音書一二章一~八でも、非常に高価なかぐわしいヒマラヤ杉の根からとつた香料(それは男子三百日の労賃にあたる)を惜しむことなく、自分の髪の毛でイエスの足を拭ってキリストに称賛されたのです。ほとんど一年分の総収入に匹敵する高価な物でした。
 ユダを始めとしていつも計算ばかりしている者たちにとっては「もったいない…」という言葉しかありません。けれども、この行為は浪費ではありません。激情的とも言えるこの女の振る舞いを通して、私たちは主イエスを心から愛する、という事がどういう事かを学ばねばなりません。主イエスに罪赦された女は最高の物を手離しても何ら惜しくはなかったのです。それ程に女はイエスに感謝し、イエスを愛したのです。
 マリヤはイエスに全幅の信仰を、また心からの信仰告白をイエスに実際をもって表わしました。現代のクリスチャンもこのマリヤの愛と信仰的態度に見習いたいと思います。

10月22日

 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」だと、ヘブル一一・一に定義されています。では何をクリスチャンは望むのでしょうか。
 もちろん世俗の中に生きているのですから、商売繁盛、家内安全、無病息災、受験合格、立身出世、子宝一杯などあれやこれや願わない者は一人もいません。キリスト者もノンクリスチャンと同様に様々良き事、あれやこれや願望するでしょう。しかし、それだけが全てではありません。受洗者続出、教会成長とリバイバル、信徒倍増、枝教会の誕生、家族全員の救いの実現など、霊的、信仰的な事柄を特に希望します。
 けれどもさらに望むのは、神の国の到来、天国の望み、永遠の命の付与、聖化の完成、主イエスとの再会、神の御国での報償など、終末への望みを深く確信するものでなければなりません。そしてこれら特に終末への約束は神からのものだということです。心より感謝したいですね。
 ところでそのような死後の世界で与えられる様々な祝福も単なる「思いこみ」ではないか、という疑問があります。しかし、信仰、信心とは、客観的な事実、今、目の前に見る事実とは、無関係ということです。不可視であるからこそ信じていくのがクリスチャンです。聖書の約束だからこそ徹底して信じ、確信してまいります。

10月21日

 「この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒一八・一〇)。
 これは、伝道上大きな励ましを与える言葉です。なぜなら、神は最も堕落した者、最も汚れた者、酒に身を持ちくずした者たちを救わねばならないため、選びの民であるあなたを用いたもうからです。神があなたを、それらの魂にいのちをもたらす使者と定められたがゆえに、あなたは彼らに御言葉を伝えるのです。そして、神があらかじめ定められたところに従って、彼らは御言葉を受け入れなければなりません。彼らは永遠の御座の前にはべる聖徒と同様、血潮によってあがなわれ、すでにキリストのものとされているのです。
 彼らはおそらく居酒屋を好み、清潔をうとんじていることでしょう。この人々は、まだ生まれ変わってはいないかもしれません。しかし、彼らは必ず生まれかわるように定められていると確信しましょう。このことは、いのちの御言葉をたずさえて彼らのもとに行く私たちの慰めとなるのではないでしようか。
 それだけではありません。キリストはこれらの不敬虚な者のために、御座の前で折りたもうのです。哀れな無知な魂は、この祈りについては何も知りません。しかしイエスは彼らのために祈られるのです。彼らの名前はイエスの胸当に書き記されています。未信者を尋ねましょう。あらかじめ連絡を取って祈りつつ訪問いたしましょう。

10月20日

 「主の山の上には備えがある」(創世記二二・一四)のこの一語は、昔から多くのキリスト者を励ましてきました。とりわけ伝道の第一線に出る開拓伝道者、何らの資金もなく、バックもなく、経歴も無い者が、ただ信仰だけで世に出る事は誠に冒険です。しかし、この一句をただ頼りとして出発するのです。そして実際に船出してみると風波は想像以上に激しく、いよいよダメかと思われる所までいったとき、アドナイ・イルエ、主の山に備えあり、の事実を体験して主の聖名を崇めるのです。
 けれども伝道者にかぎりません。信徒諸兄姉も神のほか誰をも恐れることなく、真面目に正しく生きようとするとき、様々な問題にぶつかり、この世は正論だけでは生きられないかのように感じます。けれども正義の神、備え給う神、全知全能の神を信じて、信仰の勇者達は正直の道を突き進むのです。たとえ損をしても、不利益をこうむっても主なる神を信じて行った正しい行為には、ヤハウエ(神)は必ず報いて下さいます。恐れずして主の証人たる道を歩み続けていただきたいと思います。
 「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ四・一九)とにかくアブラハムは全ての打算をのりこえて、徹底して主に服従し続けました。

10月19日

 聖書は一冊の本ではなく、本来六六冊(旧約聖書三九冊、新約聖書二七冊)から成り立っているもです。そしてこれらはBC一四五〇年からAD一〇〇年頃の間に、神の霊感によって約四〇人の著者たちを通して書かれました。しかし真の著者はただ一人のお方、ご聖霊であり、主なる神だと言わねばなりません。そして一貫してさし示すお方は、十字架の主イエス・キリストです。
 聖書は全人類に対する神の語りかけです。神は聖書のみ言葉という言う手段・方法をもって私たちに語りかけておられるのです。ですからこれに聞いて、従ってゆけば生活が正しく良い方向へと一段と変化していくのです。
 また聖書を通して神はご自分を表わしておられます。即ち聖書は神の自己紹介の書、自己啓示の書といってもいいのです。さらに聖書を読むことによって神様が、愛であり清く正しく、全知全能、造物主で、唯一なるお方など、その性質を知ることが出来ます。聖書こそ人類にとって大いなる財産であるばかりか、真理の言葉であり。永遠の救いの書であります。
 ここで初めて聖書をお読みになる方に申しあげますが、分からない所は飛ばして読む。列車でいえば急行列車に乗ったように読む。そのうちに感動する箇所、分かる箇所で停車する時が必ず来ますからそれまで忍耐強く読み続けてください。

10月18日

《真の平和の土台、イエス・キリスト》
 使徒パウロはエペソ人への手紙二・一四~一八節でキリストにおける平和について深く掘り下げ、説き明かしています。パウロはここで「キリストこそ、私たちの平和である」と宣言し、この方こそ真の平和、永遠の平和をすべての人に与えることができると、また、真の平和を成立させる根源のお方であると主張しています。
 さてわたしたち人間相互の関係を分裂させ、さらには人間と神との関係をも分離させるものは、生来の人間の中に深く内在する「敵意」です。恨み、憎しみでもあります。これらを聖書ではひっくるめて「罪」と言います。かつてパウロ時代にユダヤ人と異邦人とが対立、反目し合っていました。両者をへだてていた中垣こそ「敵意、敵対意識」であったのです。ところがキリストはこの罪をご自分の身に負われて十字架上に犠牲の死をとげられ、その罪の償いを果して下さったことによって、敵意を全くとり去って下さったのです。
 現在なお、わたしたち個人の内にかもし出される敵意、憎しみの罪性を、まずイエスを信じまた祈ることによって、さらにはこれまで自分が持ったであろう敵意を悔い改め、取り除いて頂こうではありませんか。各自が平和人間としての歩みを益々力強く進めていきましよう。

10月17日

 一九一三年(大正二年)八月一一日、客船天津丸は一三日間の旅を終えて日本の横浜港に停泊しました。実はこの船こそ日本アッセンブリー教団草分けの宣教師、ドイツ系アメリカ人カール・フレデリック・ジュルゲンセン夫妻(五一才、四五才)とその子供マリヤ(一一才)、アグネス(八才)の四人家族が乗っていた船だったのです。
 来日前の同夫妻はアメリ力、オハイオ州クリーブランドで事業を営んでいましたが、聖霊のバプテスマを受け、日本宣教の召命を神より聞いて後、全財産処分の末、主なる神の御手に導かれて、全くの未知なる日本に上陸したのです。片言の日本語すら知らない同師がまず落着いた最初の場所は東京・本郷東大前付近でした。伝道館に改造した日本家屋で宣教活動が始まり、伝道圏は更に翌年小石川に、次の年には本郷上富士前にと広げられていきました。
 通訳も備えられましたが、時には父ジュルゲンセン師の英語の説教の通訳を当時まだ小学校六年生だったマリヤが(一九九一年一二月八日、八九才にてアメリカで召天す)引き受けた事も少なくありませんでした。このような教団発足の原点を忘れることなく、さらに伝道に邁進してゆきたいものです。
 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ一六・一五)

10月16日

 かつてエゼキエルが神からの幻を見たのは、異郷の地バビロンのケバル川のほとりでした。自分も捕虜として連れて行かれ、寂しい思いをしている時でした。時はBC五九二年七月頃と言われます。しかしながらバビロンの捕囚のような大事件は世界の歴史におきましても滅多にない事であります。そのようなイスラエルの栄光は全く地に落ちてしまって、ぐうの音も出ない時であります。
 神殿は壊されてしまうし、主の宮は汚されるし、文字通り四面楚歌(しめんそか)の中で幻を見せられました。「私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。」(エゼキエル一・四)これらの表現は神の臨在を現わすものです。
 さらに「私が見ると…その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた」(同一・二七、二八)とありますが、これはまさに神の栄光を表す御言葉です。主の栄光は神の臨在の象徴でもあります。
 主のみ座の光景は不浄な輝きの中に現れています。神の栄光の輝きは、いつでもどこでも現されます。特に暗ければ暗いほどに、いよいよまさって光り輝きます。私たちも今日的な霊的、信仰的暗闇の中で、主の栄光を見、主の輝きをキャッチして希望を持って進みたいものです。

10月15日

 旧約の大祭司は「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです」(ヘブル五・二)。ですから、私たちも牢につながれている人、また苦しめられている人たちを「思いやりなさい」と同書一三・三には記されております。思いやるとは、顧みる、同情して推し量る、自分の身に比べて人の身について思うことです。
 パウロは信仰の弱い人たちをつまずかせない思いやりから、偶像に捧げた食物を食べないとも申しました。力ある者は、弱者の弱さを担うべきだ、とも口ーマ一五・一で述べております。弱い者の為にはいつでも己を砕いて、右にも左にも舵とりができる融通をきかすことのできたパウロでした。ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ていたパウ口でした(ピリピ四・一一~一三)。
 ひどい悩みに苦しんでいる人、困難と戦っている人、親、子ども、兄弟、親しい人などを亡くして悲しんでいる人、災難にあった人、良心の呵責にうめいている人、罪を悔いている人、病気、病弱の人など様々な人たちへの対応を適切にしていきたいものです。特に聖書の御言葉を引用して神のお力を頂くようにしましょう。私たちも教会、家庭、職場、近隣などで接触する様々な人々に対して「思いやり」のある行動をとって良き証しを立てて参りましょう。今自分にできる小さなことから始めましよう。

10月14日

 ヨハネ福音書五・一九~二九は、ベテスダの池での癒しをめぐって、ユダヤ人との間に繰り広げられる論戦の中でなされたイエスの説教が収められています。そして父と子との働きが一体であることを強調する言葉が私達の注目をひきます。御子イエスが父の全面的な委託を受けたさばき主であり、同時に救い主であられることも見ることが出来ます。更に御子の終末における権能がはっきりとした形で現在化され主張されております。
 二四節には「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」とあり、また、「死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです」(二五節)とあります。このように徹底して現在化された終末論の中に、疑いもなく私達の救いに係わる中心問題が示されています。実現されるべき私達への救いが、今ここに、この世界のただ中に起っていると述べられています。何というすばらしいことでしょうか。
 み父が遣わされた御子イエスによって彼を信じる者全ての者に与えられる救いであります。今やこの福音を聞く者に対して決断が促されているのです。御子イエスを信じてこれに従うのか、あるいは拒絶するのか問いただされている現代です。イエスを信じ永遠の生命を得ましょう。

10月13日

 「アーメン」は、確固とした、しっかりした、信頼できる、という意味を持ったアーマンから出た語で、「まことに、真実に、本当に、しかあれかし」です。主イエスが「まことに(アーメン)、あなたに告げます」と言われたように、このアーメンを口にする時、人間は神の前に誠に人間として、正しい態度をとることができます。ですから今日まで単純な一句ではありますが、真に親しまれる言葉として代々のクリスチャンの祈りの最後に用いられてきました。
 しかも、人間がそのようになれるのは、主イエスの救いによる他はないのです。「神の約束はことごとく、この方において『しかり』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです。」(第二コリント一・二〇)と、記されている通りです。主イエスによって、アーメンと言うことが成就するのは、主イエスとその御業が、神の人間に対するアーメンだからです。
 黙示録三・一四にありますように、「アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である」キリストによってのみ神に聞かれるのです。ルターは、神の御言葉と約束のみが、我々の祈りを生かすもので我々の敬度ではない、と言っています。いずれにしても今後もアーメンを力強く唱えていきたいものです。

10月12日

 「翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前に立ったあの場所に行った。彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。こうして、神が低地の町々を滅ぼされた…」(創世記一九・二七~二九)
 このたびパリ、ローマ観光旅行をゆるされた折、一日ローマ郊外ポンペイ市まで足を伸ばし廃墟となった跡を見てきました。ポンペイはAD七九年八月二四日におこったベスピオ火山の大爆発によって噴塵と溶岩による泥流にも埋められて、 隣のエルコラート市と共に完全に地上から姿を消したのです。その火山灰と火山礫(れき)は四メートルに達しました。噴火は三〇時間に及び噴塵は三立方キロメートルにのぼったのです。ベスピオの噴火の歴史でも最大級といわれています。
 しかし、これを単なる自然災害と考えたくないのです。まことの主なる神に反逆せるこの世への審判と、悔い改めを迫る見えざる愛の神の警告と受けとめねばなりません。謙虚に創造主のもとに立ち返ろうではありませんか。「あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。」(ホセア一二・六)

10月11日

 初代教会のパウロは自分のことを「キリスト・イエスの囚人」だ、また「あなたがた異邦人のために」このように捕われの身となったと自己紹介しながら大切なことを語ろうとしています(エペソ三・一以下)。それは旧約の時代には隠されていた「奥義」を知らせようという訳です。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」(同六節)この聖句でも分かるように、その内容は、永遠的、終末論的です。日本人も当然の事ながら異邦人の部類に属します。
 エペソ二・一以下で、キリストを知らない、信じない異邦人がどのように惨めな者かを色々と語ってきたパウロです。しかし、その異邦人が今やイエス・キリストによって大きな恵みにあずかっていることを自覚するよう促しています。このように聖霊によって啓示され、知らされ、明らかにされた奥義(エペソ三・三)ですから、イエス・キリストの救いの恵みにあずかり天国の相続人とならねばなりません。なお、福音書では、種まきの譬えとその解釈についてのイエスの言葉があるだけです(マルコ四・一一、マタイ一三・一一)。
 その恵みの原動力ともいうべき「福音に仕える者とされました」ともパウロは言っております(エペソ三・七)。

10月10日

 「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(第一コリント一二・三)ほかのことはともかくとして、「イエスは主です」と言う告白だけは、聖霊に導かれなければまことに口にすることができません。あのシモン・ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白した時、主イエスは「あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です」(マタイ一六・一六~一七)と言われました。
 現代だけではなくこれまでの人間歴史において、主なる神が私たちに与えて下さる大いなる恵みというか奇跡は、神を神として認める、このような信仰告白が出来たという事でありましょう。特に偶像国日本において聖書の神、三位一体の神、すなわち父、子、聖霊なる神を神として認め、受け入れ、信じ、この唯一なる神に従ってゆく生活など、およそ未信者生活の時には考えられなかった事です。ここに神の選びと召しを覚えます(ローマ一・一)。
 九九%がノンクリスチャンの日本において、アーメン信者になるなど誰も予想しなかった事です。けれども真実なる神は、私共を泥沼地獄から救い出して下さって、ペテロと同じように主を告白するまでに導いて下さったのです。全ては「知恵と啓示の御霊」(エペソ一・一七)のお働きによるのです。益々主に従ってゆきたいものです。

10月9日

 エゼキエル書は象徴的表現が多い為、難しい、読みづらいということでなかなか読まれません。しかし神の啓示の書の一つですから何としてもこの書にも目を通し、多くの教訓を得て信仰生活の指針として頂きたいものです。注解書には「この一巻が読んでみると以外に面白い。一つ一つの象徴的表現に深い霊的示唆があります。非常に芸術的で、バラエティに富んでいます。絵本を読む様に一章一章が絵画的に心に残っていくという具合に、引き込まれる様な興味を覚えるのです」とあります。
 本書の中にも、人間の罪、神の裁き、救い主の到来、罪人の再生と清め、将来の栄光という具合に、救いのテーマが展開されています。いずれにしてもイスラエル民族のバビロン捕囚の最中で(BC六〇〇年頃)エゼキエル(神が強めて下さる、の意)は、神の言葉を伝えていったのです。現代に生きる私たちに対する神のメッセージとしてエゼキエル書を謙虚に受けとめてゆきたいものです。
 一章~三章は預言者の召命、四章~二四章はエルサレムについての運命、二五章~三五章は諸外国についての運命、三三~三九章はエルサレム陥落(BC五八七)以後の回復の希望、四〇章~四八章は、新しい神殿の幻が記述されています。なお、本書の特徴の一つに「主のことばがあった」(七・一他、四〇回)の句が記されていることに気づきます。神のことばの威力と権威に対する自覚が深かったことを示しています。

10月8日

 新約聖書マタイ一三・四四にこんなことが書いてあります。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います」と。
 教会の中に、聖書の中に、イエス様の中にそのようなすばらしい高価な宝があるなどとこの世の中の何人が知っているでしょうか。ほとんどの人が無知なためこの天国という宝を手に入れようとはしません。知らないこと、いや知ろうとしないことほど大損することはありません。けれどもクリスチャンたちはこの「天の御国」という財産をただで(マタイ一〇・八)、しかも信じるだけで手に入れたのですから、これほどの大儲けはどこにもありません。
 上記の小作人は全財産 を処分したあと、正式にその畑を買収し、ゆっくり掘り返して地中の宝を自分の所有としたのです。ただ、無料といえば福音もまったく無料です。福音の中心人物、イエス・キリストをわたしの救い主とするのもやはりお金は不要です。実在の神の御子を信じて得をしましょう。
 隠されている宝。それは私たち自身の中にも潜在能力として秘められているのです。火事場の馬鹿力と言いますが、いざとなると人間は今迄自分にもわからなかった力が発揮されるものです。これ迄できないと思っていたのにやってみたら案外できた、ということに気づかせられるものです。可能性を秘めた自己像の発見に努めましょう。

10月7日

《仮庵の祭り》
 へブル人三大祭の一つ。レビ記二三・三四~四三、申命記一六・一三~一七参照のこと。祭りはチスリ、第七の月(太陽暦では九月~一〇月)の一五日(秋分に近い満月)から一週間。これは、ヘブル人の年末、すなわち秋の収穫を終わり、新しい年に入ってから守るので「収穫祭」、「刈り入れの祭り」と呼ばれました(出エジプト記二三・一六、三四・二二)。
 ブドウ、イチジクなどの収穫祭であり、感謝をもって年を終わり、年を迎えるのです。田畑に樹枝で仮小屋を設け、その中に起居し、収穫の感謝の供え物をしました。これは元来農業的祝祭でしたが、歴史的意義が加わり、荒野放浪、さすらいの天幕生活と結びついて「仮庵の祭り」と呼ばれるようになりました。
 ネへミヤ八・一四~一七では仮庵の祭りの祝い方をのべています。またこの祭はイスラエルの民のエジプトからの脱出に関連し、荒野放浪と仮小屋での居住を記念する意味合いを持っていました(レビ二三・四三)。
 ヨハネ七・二に仮庵の祭りが記されていますが、この時には荒野で岩から湧き出した水をかたどり、シロアムの池の水を汲んで毎日、祭壇に注ぐ行事が行われました(ヨハネ七・三七、三八参照)。しかし、この行事はモーセ五書にはなく捕囚期以降に始まったと考えられます。また神殿の婦人の庭に四基の高い燭台を立て、点火して彼らを導いた火の柱を記念したのです。

10月6日

 聖書に登場している神は「ご自身を隠す神」です(イザヤ四五・一五)。神だ、イエス様だといっても今日私達の目の前に姿を現わしておられる方ではありません。ただ私達は唯一、「聖書」を通じて語られている、父、子、聖霊なる三位一体の神は偽りなく、わが側にいて下さる、我と共に居たもうと「信じて」いる信仰によるのです。
 ですからある人は自分の思い込みだ、一方通行的片惚れだ、相手は実在するかどうか不明だと疑うのです。そうです、疑いだせば際限がありません。そこでです。一度聖書の神は存在、実在する、生きておられる神だ、救い主だと信じて頼ってみるわけです。
 この時点では冒険をすること、一種の賭け、ギャンブルをすることになります。でもこの冒険、ギャンブルは絶対損をするものではありません。不可視的神に信頼して、祈ってみる。「父なる神よ。汝の生ける神たることを我に知らしめ給え。わが不信仰を許し、我に汝のみ子イエス・キリストの救い主たることを示し給え。我、汝に寄り頼まん。主イエス・キリストの聖名(みな)で祈ります。アーメン」と口にだしてみるのです。きっと神はあなたの願いを聞いて下さるでしょう。
 万物の創造者、真の神様を信じ、頼り、祈り、この方の実在を体験致しましよう。「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。」(ヤコブ一・六)信じることは素晴らしい事です。

10月5日

 ウイリアム・バークレーは「教会は神に出会い、また人に出会うところ」と言っています。教会は礼拝を通して神と交わり、その他の諸活動において人と交わるところでもあります。もちろん礼拝が中心ですが、神は人を通して仕事をされます。人との交わりが充分できないと教会生活は不充分です。
 心の満たしは主なる神との交わり(祈り)の中で与えられるのですが、もう一面では人との深い交わりの中でなされてゆくものです。もちろんその逆で交わりの中で反って傷つく場合もあるでしょう。が、それはそれでまた別の時に考えたいと思いますが、とにかく生きている教会になるためには、交わりの中で「聴くことの奉仕」に耳を献げるべきであります。
 わたしたちはすぐ語りたくなりますが、まず相手の声に耳を傾ける愛と忍耐と謙遜をもって交わってゆきたいものです。そして、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣き」(ローマ一ニ・一五)、互いに祈り励まし慰め合う必要があります。厳しい世の中においてこれからの教会が癒しの教会として成長するよう、まず神と人に良く傾聴できるようにと願います。
 「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」(詩篇六三・一)

10月4日

 「平和」の言葉は一般的にはおおよそ戦争のない時期を表わしていますが、聖書のシャロームは、しばしば神の真実や契約などの言葉と共に用いられ、平和な時期というよりむしろ平和な「関係」を示す言葉です。
 エペソ書でも平和は、平安という語と共に二・一四、一五~一七、及び一・二~四・三、六・一五、二三、と大変多く使われています。神と人、人と人との関係を語っています。さらにこの手紙で、平和が人格化した形で宣言されています。「キリストこそ私たちの平和」(エペソ二・一四)とあります。平和とキリストとの同一視は、パウロの手紙ではこの箇所だけに見られます。
 キリストが私たちの平和であるとは、続く文章の三つの分詞によつて説明されています。すなわち、二つのものを一つにする、隔ての壁を打ち壊す、敵意を廃棄する、の三つです。第一は神的領域と人間の領域が一つにされること。第二は人間世界におけるあらゆる分け隔て、境の壁を打ち破ること、第三はそうした原因を作っている「敵意」を破り捨て、解消させる方こそ平和のキリストだというのです。
 彼は私たちを「新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するため」(同二・一五)に、敵意をご自分の肉によって廃棄された方、すなわち、敵意を十字架によって葬り去られた方なのです(同二・一六)。この方にいよいよ目を向けていきましょう。

10月3日

 新約のコロサイ人への手紙の執筆理由は、教会内に異端(正統でない、正しくない)のキリスト教々理、思想が勢力をふるいはじめ、教会の福音信仰をおびやかすようになったからです。そこで獄中のパウロは福音の真理を明らかにするため、また異端からコロサイ教会の信者を守るために筆をとったのです。
 その異端とは、この世の霊力(ストイケイア)についての教え(コロサイ二・八、二〇)でもあり、それは天使礼拝でもありました(同二・一八)。また、だましごとの哲学(同二・八)にも、とりことなるなと注意を呼びかけたのでした。
 今日も「ものみの塔」という異端がはびこっているので大いに注意、警戒しなければなりません。彼らはイエス・キリストの神性を絶対に認めようとはせず、イエスは最初に造られた天使と主張するのです。聖書を正しく読み、正しく解釈するならば、このような結論は出てこないのです。キリストの神性を認めたくない彼らは、自分たちの都合のよいように聖書を勝手に作り変えるのです。
 例えばコロサイ一・一五のイエスを「全創造物の初子」というふうに彼らの用いている新世界訳聖書で原文にない言葉をつけ加えて訳し、元来の文の意味をねじ曲げてイエスの先在性も創造性も神性も否定しようとしているのです、まず私たちは正しいキリスト観を身につけねばなりません。

10月2日

 エゼキエル三八章と三九章は、マゴグの王ゴグについての預言で、イスラエルの民が祖国に帰り平和に暮らしている頃、異邦人の征服者ゴグが大連合を率いてパレスチナに進入してきますが、神のみ怒りによってその同盟軍もろとも滅ぼされてしまうという預言です(エゼキエル三八・二~三、一四、一六、一八。三九・一、六、一一)。
 前章で主は回復後のイスラエルに、メシヤによって永遠の平和を確立することを約束されました。しかし、ゴグのような者たちがいる限り平和が確立したとは言ません。永遠の平和が確立するのは彼らを脅かすあらゆる敵が打ち破られた後です。そこで神はイスラエルに敵対するあらゆる諸国をゴグのもとに結集させ、戦いを挑ませ、一挙に粉砕されたのです。
 二一世紀においてもイスラエルに対する完全回復、即ち、メシヤ的な永遠の平和が実現するには、イスラエルに対する諸国民の大攻勢が起こらねばならないかもしれません。ゴグ、マゴグは、黙示録二〇章にも登場しますが、そこでも神の民に戦いを挑む諸国民のリーダーとして現れます。この人物が誰であるかは明確ではありませんが、しかしその連合軍は天からの火によって完全に滅びてゆくのです。悪魔は結局滅ぼされ、神の主権は確立するのです。

10月1日

 人生には様々な危機が訪れます。男女、年齢の差を超えて色々な形でその人なりの危機がやって参ります。新約聖書にも、ぶどう酒がなくなった、舟が大暴風で沈みそうになった、子供があるいはしゅうとめが病気になった、地震が起こった等の危い、恐ろしい困ったことなどが起きています。
 こうした時に人は最悪の場合、「自殺」を考えます。使徒の働き一六・二七の看守は責任を全うできない故に自殺志向でした。マタイ福音書のユダは遂にキリストを裏切って、また第二サムエル一七・二三のアヒトフェルはダビデにそむいて、それぞれ自ら首をくくり死んでいます。
 旧約聖書のヨブも第三章を読むと死を待ち望んでいます。ヨナ書のヨナは自分の思うように成らなかった時、不愉快になり怒って、ヨナ四・三で「主】よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから」と言います。伝道者の書の著者も同様です。伝道二・一七で「私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく…」と。
 キリスト様もユダヤ人たちから、「あの人は…自殺するつもりなのか」(ヨハネ八・二二)と誤解された程に、人間は危機に弱い訳です。所が、ここに救い主、助け主、イエス・キリストが登場して手を差し伸べて下さるのです。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」(マタイ一四・二七)と。