あなたは今まで色々な人に伝道してこられてどのような感想がありますか?
「実際に伝道をやってみるまでは凄く戦いがあり、恥かしいなどの思いがありましたが、伝道は種まきですからこの段階ではまだ簡単でした。でも人を救いに導くということは、ご聖霊によらなければ本当に困難だと思わされました。でも主は全ての人を救おうとされている神のみ旨を覚えて、さらにこれからも続けていきたいと願っています。何でもそうですが伝道も実際にやってみないと相手の反応などがわからないのです。ですからさらにお祈りをしていく必要性を強く感じます。救いに導こうとする自らの祈りの手帳の中にある、即ち、母親の体内にある子供のような胎信者を愛することができなければ、伝道することは難しいということが分かりました。とにかく出て行く伝道をしたいと思います。」とある人は答えました。
一世紀初代キリスト教会時代パウロは、コリントの人々に対し、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」と、言い切りました(第一コリント一・一八)。コリント人には十字架の説教は、愚かなもの、ばかばかしいものにうつっていました。またイスラエル人には、つまずきの石でした。日本人にもそのように受けとられているのかもしれません。でも遠慮なしに伝道していきましょう。